先日、こんな記事を読んだ。
武井壮の超人っぷり
武井壮さんは、昔、背骨を折る大怪我をして
医者から「もう競技はできないですね。歩けるようになることを目指しましょう」
と言われたそうです。
にもかかわらず
「絶対に治す」とセルフイメージして
骨の構造など勉強し、なんと!自分で治してしまったそうです
さすが『百獣の王』
思い込みやイメージでケガまで治せてしまう、という
奇跡。
すごいです。
カッコ良すぎ。
この話を聞いて、想像してみた。
武井さんはケガを治すために
ありとあらゆる「骨図鑑」を読んで勉強しただろう。
しかし、
ケガを治すことを目標にしていなかった、と思う。
「競技に出る事」
または
「競技で優勝すること」
きっとケガを治した先にゴール設定があったに違いない。
普通の人であれば、
医者に言われた時に "競技人生、終わった・・・" と思うか
または、医者の指導を受けながら治療に専念するか、だと思う。
しかし武井さんは
自分で治してしまうという、一見不可能に見えることを
やってのけたわけです。
私の体験
もう10年以上前の話。
大阪ドームへコンサートを観に行った。
海外の大物アーティスト。
どういう事情か知らないが、
開始時間は遅れていた。
そして、開演。
時間があっという間に過ぎていった。
終盤のアンコールが始まり、時間をみると・・・
「やばい。最後まで観ていたら、帰りの終電に間に合わないかも」
アンコールは見たい、でも明日仕事だから帰らなければ。
途中だけど今帰れば、終電に間に合う。
さぁ。どうする?
とりあえず、横にいる友達に
「残念だけど、電車ギリギリだから帰ろう」
と言った。
すると、意外な返事が。
「嫌だ」
(;'∀')・・・・えっ?
だってあなたも明日仕事じゃーん?
困るじゃなーい??
終電逃したら家(名古屋近く)まで帰れない。
しかし、断固拒否している友達を説得することはできなかった。
さて、家までの電車は間に合わなかった。
もちろん新幹線もない。
せめて途中まで進もうと、各駅停車の鈍行に乗って
進めるところまでは行ってみたのだ。
そして、錆びれた駅を降り、辺りは深夜。
ヒッチハイクも考えたが、車もいない、人もいない。
どうする?
錆びれた場所なので宿もなさそう。
タクシーで帰ったらとんでもない運賃になるだろう。
野宿か?タクシーか?
2択だ。
考えていたらタクシーが一台やってきた。
私:「すみませぇ~ん(泣)名古屋近くまで帰りたいんですが、
1万円くらいでお願いできませんか?」
運転手:「笑、深夜料金なんで1万円では行けませんよ」
私: うぅぅ・・・・・・_| ̄|○
そこから運転手さんに経緯を話し、どうしょうもなくて困っていて
なんとかできないか交渉。
そしたら1万円でサービスしてくれると言ってくれました!!!
なんて優しい運転手さんでしょうか。
(今ならクレジットカード決済で払え、と言われそうですね。笑)
という事で、無事に家まで帰ることができました。
なぜ不可能な状況から、家に帰るという目的を達成できたのか?
それは
どんな状況だとしても、
「翌日仕事があるから朝までには家に到着しなければならない」
という明確で成し遂げなければならないゴール設定があったから。
不可能を可能にするためには ひたすらゴールに向かう事
ゴール設定がたとえ
多くの人から見て不可能と思われるものであっても
自分だけは自分のゴールに向かって
まっすぐに向かっていけば
いつかは辿りつく。
ゴールに向かう方法など、なんでもいいのだ。
例えば
ある仕事に就きたくて、資格を取りました。
しかし、他の資格も取りたくなって、次々と資格をとり
たくさん資格保持者になれました!!
これは当初の
「ある仕事に就きたい」⇒「資格コレクターになりたい」
という風に目的が変わってしまった例です。
横道に逸れてしまうとゴールが遠のくどころか
違う方向へ走り出してしまうパターンも。
ノウハウコレクターも同じ。
手段という横道に逸れている。
勉強することが目的ではないはずなのに。
いかにゴールに向かってまっすぐに向かっていくかで
決まる。
そして
ブレないためにも大事なことは
自分が設定したゴールに辿りつくのは可能だと
思い込むこと。
多くの人の言う不可能を信じるのか、 自分自身の可能性を信じるのか、
選択は自由です。
では、また~~~~(^^)/